株式会社キャタリストカナダ

高卒の大工さんがカナダ留学サポートセンターを始めるまで!

水谷

金なし!学歴なし!英語力なしでも得られた大きな成果!

このホームページの主役は実際に留学をするあなたです。カナダで語学学校に通い、英語をマスターし理想の仕事を手に入れるのはあなたです。そのためにも、そのお手伝いをする私がどのような経緯でカナダへワーキングホリデーと語学留学をして、英語講師になり、留学エージェントになったのか? 私のカナダでのワーキングホリデーや語学留学経験が、1つの体験談として、これからカナダへ行くあなたの参考になると嬉しいです。個人的な話ばかりで恐縮ですが、お付き合い頂けると嬉しいです。

会社経営者の父、栄養士の母、典型的な日本家庭の次男

英語や海外生活とはまったく縁のない典型的な日本家庭に生まれ育ちました。 勉強苦手で運動が大好きな野球少年。何不自由なく育ててもらいました。そして90年代前半、世の中の流れに合わせてわが家にも衝撃の波が迫ってきました。 平成の大不況です。バブルの崩壊で父親の経営していた会社が倒産。多額の借金を抱えた両親。静かな海をのんびりと進んでいた船が、気が付けば嵐の中にいて、どこに進んでいるのかもわからないほど右へ左へと揺れ始めたのは私が高校2年生、17歳の時でした。

部活をやめてアルバイトをしながらなんとか高校を卒業し、その後は費用的に大学進学などという選択肢はなく、私が社会に出たのは肉体労働の建築現場でした。建築会社の下請けで、型枠大工として働く毎日。他にも仕事はあったと思いますが、肉体労働は18歳ながらとても給料が良かったので自分の生活費を賄うためにも、ちょうどよかったのです。

大工の自分に人生の転機

型枠大工として働くこと3年。仕事も覚えて楽しくなって来ていた頃です。同級生たちは大学3年生。友達が大学を休学してカナダへワーキングホリデーへ行くという話を聞いて、ワーキングホリデーというシステムがあることを知りました。海外に住みながら、働いて生活していけるということに興味を持ち、自分も行きたいと思い始めます、「でもきっと資格や申し込み費用が高くて大工の自分は行けないだろうな。。。」と思っていたら、30歳以下なら誰でも行けるということを知りカナダへ行くことを決めました。英語はまったく出来ないけれど何とかなるだろう!と楽観的な性格。大工という仕事も楽しかったで すが、このまま20代前半を過ごしてしまうのはもったいないと思っていたので、友達のサポートもあり、仕事を辞めてカナダへワーキングホリデーへ行きまし た。

英語は出来なくても楽しく暮らせるワーキングホリデー

ワーキングホリデーという仕組みがカナダと日本の間で成立し開始されたのが1986年、すでに約30年の歴史がありますが、私がカナダへワーキングホリデーをしたのが1998年、ワーホリが出来て12年目でした。それでも初めて降り立ったカナダ・バンクーバーはすでに日本人だらけでした(苦笑) バンクーバーは日本人やアジア人も多く、自分が思っていた海外生活との大きな違いを感じ、カナダの首都・オタワへ移動。オタワは日本人も少なかったですが、英語の出来ない私はやはり日本食レストランでバイトを始めます。週末には日本人の友達と、スノーボードをしたり、ビリヤード、バーで飲んだり、カラオケをしたりと本当に楽しい毎日を過ごしていました。22歳の若者にとって、外国の町に、自分のアパートがあり、仕事があり、旅行じゃなくてそこで暮らしているというのがとても楽しかったのです。オタワで知り合った日本人の友達も年上の方が多かったのですが、皆さん親切で優しい人たちが多く、本当に楽しい海外生活を過ごすことが出来ました。英語はあまり上達しませんでしたので、ある人から見たら「1年間遊んできたんだ」と言われても仕方ありません。でもどんな1年間でも良い悪いは自分が決めるもの。この1年間のカナダ生活は自分にとってとても意味のある1年間でした。今振り返ると、この1年間のカナダ生活で下手なりに英語を好きになったことが一番良かったことかもしれません。もともと大工だった私には、「カナダにいる間に英語が上達しないといけないというプレッシャー」がまったくありませんでしたし、自分が話す英語が通じるというだけで正直感動ものでした。お金があればもう一度、英語を学びにカナダに来たいと思っていましたが、その時の自分には語学留学なんて現実的ではありませんでした。

楽しいワーホリも終わり日本で始まる現実

ワーホリを終えて日本へ帰国した私は、貯金を使い果たして いたこともあり再び大工に戻ります。大工に戻ってはみたものの、以前のように落ち着いて働くことが出来ません。23歳にもなるとさすがに将来のことを考えます。

  • 今、大工をしていていいのだろうか?
  • この先、一生大工として生きていくのか?
  • こんな肉体的にキツイ仕事を40歳、50歳、60歳まで続 けられるのだろうか?
  • 今のうちに学ばないといけないことがあるのでは?
  • 身につけないといけないスキルがあるのでは?

最初に大工になった高校生の自分とは違います。そして時代も大きく変わり始めるときでした。当時はまさに!インターネットが普及し始めた頃です。時代が大きく変わる時でした。そんな時に、これからはコンピュータープログラマーという仕事が需要が増えるという話を聞いて、友達と一緒に、パソコンスクールの見学会に行き、「やっぱりこれからは何かスキルを身に付けないとダメだ」と思いコンピューターを学び始めることにしました。

それから大工をしながら、週末は学校に通うという生活を1年間続けました。その甲斐あってか、名古屋市内にあるソ フトウェア会社へ転職をすることが出来ました。高卒の大工がコンピュータープログラマーへ転身です。そして生まれて初めてのサラリーマンです。建築現場の大工とは全く違う世界。作業着からスーツになり、初めてのネクタイ出勤です。そして、この世界で頑張って行けば、「この先の人生うまく行くかな~」と思っていたのですが、やはりそんなにうまくは行きませんでした。。。苦笑

SHOULD が MUST に変わった瞬間

27歳。コンピュータープログラマーとして働き始めて4年くらい経った頃です。大きなプロジェクトに参加することになります。何億もの費用をかけた大企業のシステム構築プロジェクトに参加することになった私は、毎日朝早くから夜遅くまで、時には会社で朝を迎えることもあるような毎日を過ごしていました。大きなプロジェクト。失敗は出来ない。技術的に難しい問題も山ほどある。そんな状態が一年ほど続きストレスとプレッシャーで精神的におかしくなりそうでした。そんな時、忘れられない出来事が起こります。ストレスやプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのは私だけではなく同じプロジェクトに参加している同僚も同じでした。その同僚がいよいよ体調を崩しプロジェクトが遅れそうになったとき です。上司であるプロジェクト・リーダーが言いました。

「お前らは死んでもいいから期限に間に合わせろ。」

ガツーンときました。社会で働く大人がこんなことを口にしていいのか? それからの数日間。その言葉が頭から離れません。怒りと悔しさが心から離れません。頭の中をグルグルグルグルと色んな考えが巡ります。

  • 俺はこんな扱いをされるために大工しながら1年間も学校に通いコンピュータープログラマーになったのか?
  • これが自分がやりたい一生の仕事なのか?
  • もし今から新しいスキルを学ぶなら何を学ぶ?
  • 今、何してもいいなら何をする?

そしてたどり着いた答えは、「わからない」です。

えええっ??!と思われた方もいるかもしれませんね(笑) そうです。わからなかったのです。本当ならここで「人生を捧げる仕事を見つけた」となるとカッコいいのですが、わたしはそうではありませんでした。

でも2つだけ自分の中でわかっていることがありました。

それは「このままじゃダメだ」そして「英語はこれからの時代を考えても、将来の自分のキャリアに絶対必要だし、英語を使えるようになりたい。」と言うことでした。

だからその先のことは英語をマスターしてから考えることにしたのです。何よりも嫌だったのが、足踏みをして20代という時期を「消費」していくのが嫌だったのです。

正直、SE(システム・エンジニア)という仕事を続けていれば収入も安定し、少しずつ会社でのポジションも上がっていったと思います。でもちょっと待てよ? 65歳の定年まで働いたとして、この時点で27歳だからあと38年働くことになる。

38年!

まだそんなに生きてないのに。今から2・3年かけて本当にやりたいことに必要なスキルを身に付けたほうが、絶対に近道だし、幸せになれる!と判断しカナダへ語学留学を決めました。英語は自分がやりたいことのベースになるスキルだったのでこの選択は良かったと思います。そして私はもう一度、英語を学びにカナダへ行くことを決意します。そんな私が最初にしたことは、彼女へのプロポーズでした(笑)

カナダ出発6ヶ月前に結婚。

自分のわがままを理解して応援してくれる妻と家族には感謝してもしたりないほどです。ありがとう。

10年ぶりの学生生活! 語学学校に通う

英語だけは絶対にできるようになって帰国する。そう思っていた私が留学先に選んだ町、それはカナダの東端にある小さな町ハリファックス

ワーキングホリデーの経験から、カナダの大都市では英語漬けになる環境が難しいとわかっていたので、最初からバンクーバーやトロントは候補から外しました。

そして妻と2人で新しい生活をスタートさせるということで、2人とも知らない町へいこう! という事でオタワも候補から外しました。

そして見つけたのがハリファックス。

そしてハリファックスにある語学学校 International Language Instituteに通い始めました。10年ぶりの学生生活だったせいか、こんなことを思っていました。

勉強することがメインの生活って楽しい

社会人が資格取得やスキルアップのために何かを勉強しようとすると、どうしても仕事の合間をぬって時間を見つけて勉強しないといけない。でも、カナダへきて語学学校に通っているということは、「英語を勉強すること」がメインの活動。 当たり前に聞こえるかもしれないけれど、この時点で10年の社会人経験のある私にはとても幸せなことでした。

そして語学学校に通い始め、授業にも慣れてきたころ・・

日本の中学や高校の教え方とはスタイルの違うカナダの英語教授法に興味を持ち始めました。

日本の学校は、講義形式というか、先生が前にいて、生徒は静かに座って聞いているというスタイルがメインですよね。でも私が経験した語学学校のスタイルは、生徒が中心になった授業だったのです。

クラスメイトとペアやグループを作って話しをしたり、プレゼンテーションやディスカッションをしたり、教室の中を動き回ってアクティビティをしたりするスタイルがとても新鮮に感じました

そして・・・ 「英語の先生って面白そう」 と思い始めたのです。

これは本当に偶然なんですけど、私が通っていた語学学校ILIではネイティブスピーカー向けに英語の先生になるための資格、英国ケンブリッジ大学認定・CELTA(セルタ)のコースを提供していたのです。「どうせ、英語を学ぶなら、人に教えられるまで上達したい」そう思った私は、CELTA取得を自分の英語学習の目標に設定しました。

カナダでの英語教師資格 CELTA取得

語学学校ILIでの一般英語コースを7ヶ月通い卒業。 この時点で無事にCELTAコースへの受け入れが決定!このコースはネイティブスピーカー向けなので、
日本人の私はそれなりの英語力を証明する必要がありました。筆記試験と面接、エッセイ2つを提出して何とか合格。これまで周りの人にCELTAを取得すると言っていたので、とりあえずコースに参加できることが決まってホッとしました。

CELTAのコースでは、英語教授に必要なことを、基礎からみっちり学びました。実際に初日から先生としてESLの授業を担当しました。これめちゃめちゃ緊張しました。会話の中で英語を話すことにはだいぶ慣れていたけど、人前で先生として話すというのはまた別の経験でした。CELTAは、コースについていけない生徒は「途中で脱落」ということがあり得るので、それだけは避けたいと思ってました。(実は授業料もかなりのものだったのです。4週間で約25万円、途中で脱落の場合も返金不可)

それでも自分がESLの生徒の経験があるせいか、意外とネイティブのクラスメイトが知らないことを自分が知っていたりもしました。

クラスメイトに助けられたりしながら、何とか4週間のコースを修了して無事合格。晴れて英語の先生に。

これはカナダの語学学校でも英語が教えられる資格。カナダの学校で教えることはないだろうけど、とても大きな自信になりました。

英国ケンブリッジ大学認定・英語教授資格
CELTA 認定書

TOEICテスト初受験で935点取得

ハリファックスでの語学留学で自分の英語力がどれだけ向上したのかを試すために準備ゼロで受験しました。結果は合計935点(リスニングは満点でした。)

代表水谷の TOEIC スコア

語学学校の先生・ジュリーの一言で、留学エージェント会社をはじめる決意!

わたしが語学学校ILIに通っていた8ヶ月間のうち、その半分もの期間、担任をしてくれた先生がいました。その先生はジュリーというハリファックス出身のカナダ人女性。仙台に2年半ほど住んでいたことがある先生でした。年齢もわたしと同じ20代後半で、日本やカナダの文化の違い、彼女が日本の生活で思ったこと感じたことなど、色んな話をすることができました。

ある日の授業後。

教室でジュリーと話しをしていたら、彼女が突然こんなことを言い出しました。日本での生活はすごく自分にとって勉強になった。今も日本が大好き。また戻りたいって思うわ。でも正直なところ、日本で出会ったたくさんの日本の若者が、日本のことしか知らなくて、狭い視野、狭い考え方してるなってこともすごく感じたのよ。わたしは日本に2年しか住んでいないけど、それ感じるには十分だったわ。

「特に日本人の男の子たち。もっと世界に出て、色んなものを見て、体験して、広く大きな考え方をして欲しいわ。」

一体、仙台で何があったんだ??? と不思議に思いましたが。。。(苦笑)

確かに日本からカナダ、ましてや日本人の少ないハリファックスのような場所へ日本人の若者が来たら、英語はもちろん、色んな経験をして、色んな人に出会い、人間的に強くなり、大きく成長するきっかけになるだろうなと思いました。

ジュリーに共感できたのは、まさに自分自身が、「カナダと日本の文化の違い」を感じる日々を毎日過ごしていたからだと思います。

そして、ジュリーが言った一言。

You should bring Japanese people to Halifax.

「ミチが日本人の若者をハリファックスに連れてきたらいいのよ。」

その場では、笑って聞き流していましたが、しばらく私の中でジュリーのその言葉が残っていました。

そして2005年10月・・・

ハリファックスサポートセンター設立!!

カナダで真剣に英語が学びたい日本人はたくさんいる!カナダで大きく成長したいと思っている日本人もたくさんいる。でも! ハリファックスのことを知らない人もたくさんいる!!だからハリファックスの情報を発信する留学エージェントになってカナダで頑張りたい日本人留学生にハリファックスを知ってもらおうと想いこのハリファックスサポートセンターを設立しました。そして2015年からはハリファックスだけではなく、トロントやバンクーバー、オタワ、カルガリーなどカナダの主要都市への留学サポートを始めました。

2017年現在、このサポートセンターも12年目に突入しました。

ここまで読んで頂いたあなたはお気づきかも知れません。わたしの今までを一言でまとめると「ワーキングホリデー・語学留学、そして英語というものを通じて自分の道をここまで切り開いてきた」ということです

だからこそ、同じようにカナダで英語をマスターして自分の理想の仕事に就きたいというあなたのお手伝いが出来たらいいなと思うのです。やりたくない仕事に落ち着いてストレスとプレッシャーで心が壊れるような若者を減らしたいと思います。あの時の私のように。これが私が留学エージェントという仕事を選んだ理由です。

最後までわたしの物語を読んで頂きありがとうございました。

あなたがカナダ語学留学、ワーキングホリデーを通じて、英語をマスターし、成長し、自分を知り、理想の仕事をみつけ、最高の未来を手に入れることを応援しています。

ハリファックスサポートセンター
代表&留学アドバイザー 水谷通孝(みずたにみちたか)

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